Author:店 長 大ちゃんの本屋さんへようこそ!
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店頭で現物を手にとって頂いたなら一目瞭然なのですが、本書では文意こそ日本語に訳されてはいても、それが『詩』になっていないのです。たとえ詩が原語から離れても、変わることなく根底に残り続ける筈の、音楽的とも言える不思議なリズムが、ここではバラバラに断ち切られています。
日本語でガルシーア=ロルカの詩をお読みになるのであれば、みすず書房刊の長谷川四郎訳『ロルカ詩集』(絶版)をお探しになるか、平凡社刊の会田由訳『ジプシー歌集』をまずお求めになるべきです。
先日楠氏が新聞紙上で、「詩のボクシング」と日本語ブームは関係ないと述べていたのを目にしたが、そんなことはなく、言葉を声に出すブームも日本語ブームも実は「詩のボクシング」が元となっている。察するに、ブームといった表面的なものと一緒にされたくないという思いがあったのではないだろうか。
この本は「詩のボクシング」のことがすべて分かるとなっているが、それ以上に声の言葉に対する深い洞察がなさ!れているのが魅力的だ。 しかも、非常に平易な文で読みやすいところがいい。 この本は、読んで損はない。
この詩集にも収録してある「誰もいそがない村」小学生の時、NHKの「みんなのうた」で放送されていたのが懐かしく思い出されます。
「いそがなくてもいいんだよ・・・汽車に乗りおくれたら ジプシイの横穴に眠ってもいい」
日本にジプシイの横穴は無いけれど、私のジプシイの横穴を見つけて、一休みし、また歩いていければいいなと思います。
いったいこの日本でだれが、「わが来し満月 わが見し満月 わが失脚」や「月光旅館 明けても明けても ドアがある」などといった人間の実存や詩美にあふれた世界を書ける文学者がいるであろうか。「伯爵領」「蕗子」などという句集のタイトルだけでも心が騒ぐ。
詩の世界における安西冬衛や、『虚無への供物』の中井英夫などとともに、日本幻想文学に屹立する存在であろう。高柳を「知る人ぞ知る」ではなく、せめて「ユリイカ」あたりで特集できるような雰囲気が日本にも出ることを願わざるをえない。
下も買おうと思います◎^^◎
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